わかしょ文庫|うろん紀行 第4回 蕨、上野、亀戸、御茶ノ水

うろん紀行

WEB連載「うろん紀行」が2021年8月に
書き下ろしを加えて書籍として代わりに読む人から刊行されました。
詳しくはこちらから。

第4回 蕨、上野、亀戸、御茶ノ水

 こんなつもりではなかった。わたしはいま真っ暗闇の中、お茶の水橋に立っている。時刻は午後六時。行き交う人とよくぶつかる。橋の下に見える川の水は、濁っているようだがよく見えない。

 本当は今日は、河口湖駅からバスに乗って天下茶屋に行くつもりだったのだ。ほうとうでも食べながら、井伏先生放屁問題について四千字書こうと思っていた。しかし台風19号がやってきて、目的地までの線路を一部覆い隠してしまった。あたりは土砂崩れの危険もあるという。それに情けないことに、低気圧のせいか頭がひどく痛むので、遠出どころではないと判断した。

 ではどこへ行こう。どの本を元にして書こう。わたしは連載についての予定が書かれたノートをぱらぱらとめくってみた。自分のことが嫌になるほど、全く予定通りになっていない。ふと、汚い字で書かれた一行に目が止まる。そうだ、後藤明生『挾み撃ち』でいつか書こうと思っていたのだ。とつぜん、どこかに行くのならこれほどぴったりの小説もないだろう。

 散らかった部屋の大半を占めるプラスチックケースを、あれでもないこれでもないとやりながら『挾み撃ち』を探し出す。あった。ページをめくる。そうそう、御茶ノ水から始まるんだよね。では御茶ノ水に行くか。読み進めていくうちに、小説は物語の結末から始まっていたことを思い出す。そうだった。この話では到着点からそれまでの道のりを回想し、そしてその道のりでも過去を回顧するのだった。わたしは相変わらず、小説に関する記憶があやふやだ。いやはや、忘れているものだな。

 主人公「赤木」は、昔着ていた旧陸軍の外套をどこで失くしたのか思い出せない。思い出すために、今まで自分が過ごしてきた土地を、思い出とともにたどる。まず赤木は、自宅のある草加のマンモス団地から、ぐるっと迂回をしてかつての下宿先である蕨へ向かう。であるならばまずは蕨へ行こうか。本来であれば、物語のはじまるマンモス団地に行ってから同じルートをたどるべきなのかもしれないが、自宅という意味では等価だと考えよう。

 品川から乗り込んだ京浜東北線の電車はまっすぐ北上し、河口湖ではなく川口を過ぎていく。西川口を挟み、蕨へ。コンパクトシティ蕨。たしか成人式発祥の地なんだったか。空は白く曇り、小雨が降っている。あちらこちらの看板に錆が目立つ駅前のロータリーに立っていると、ちらほらと外国語が聞こえてきた。このあたりは多くの中国人とクルド人が、故郷をはなれて暮らしているからだろう。

 以前、大学で知り合った人が
「うちの実家にも後藤明生が来ていたはずだ」
と言っていた。実家は蕨で代々書店を経営しているのだそうだ。いいな。やはり内地出身者のほうが、そういった文学的接点が多いのだろう。身勝手な羨望を覚えたことをぼんやりと思い出す。

 その後藤明生が通ったかもしれない書店に行くことも考えたが、場所がわからない。注意深く見渡したが、駅前に本屋は見当たらない。それに、それはストーカーの行うことでは? しょうがないので小説の通り、駅前の商店街をまっすぐ歩く。赤木が、とある女を『ネフスキー大通り』の娼婦「ブリュネット」に見立て、問答を繰り広げるあの場所だ。一本道はたしかに長いが、実際には複数の商店街にわかれているようだ。しばし立ち止まるが、誰も通らなかった。あきらめてしかるべき場所で右折し、蕨神社へ向かった。そこは思いがけずそれなりの規模がある神社で、七五三をすませた家族が談笑しているのが見えた。後ろからは、お宮参りをしようとする家族がいる。明確な目的のある人たちに挟まれてしまった。いたたまれず、わたしは蕨神社をあとにした。

 不思議な人だったな。実家にかつて後藤明生が来ていたかもしれない人のことだ。上下色味の違うデニムを着ていたことがあった。わたしはファッションに自信のあるほうではないが、それでもその合わせかたはちょっと違うのではないかと思っていた。薄いデニムと濃いデニムの挟み撃ち。お元気ですか。

 蕨の次はどこに行けばいいのだろう。アーケードの下、雨を避けながら立ち止まって読み進める。そうか、上野か。

 京浜東北線に乗りこんだ。三十分ほど揺られ、上野駅に着く。公園口から降りて映画館を目指す。御徒町にできたばかりのシネコンではなくて、昔からある映画館のほうだ。そこはいまやピンク映画専門なのだと知っていた。一時期、この世の全てを知りたくて、その映画館にはいってみようか逡巡したことがあった。結局はいらなかったが、それでよかったのだろうか。そういえば新橋にあったピンク映画専門の映画館は、いつのまにか無くなってしまった。わたしが映画館でピンク映画を観る日は来るのだろうか。

 ゴッホ展の横を通り過ぎながら、しまった、赤木は不忍口から出たんだ、と気づく。これでは遠回りになってしまう。

「いやよいやよも好きのうち」

 すれ違った男性が、連れの女性に向けて放った言葉が聞こえてしまった。どういった文脈で言ったのかとても気になる。英語ではどう言えばいいのだろう。後ろ髪を引かれるような思いで階段を降り、京成上野駅の前を通り過ぎてうろうろとしていると映画館に行き着いた。すこし奥まったところにある。立ち止まって写真を撮っていると、本来の客であろう壮年の男性にじろじろと見られた。申し訳ない。やはりここはわたしのように目的を持たない人間が来てはいけないところなのだ。

 看板にはもちろん、脇毛の生えた女子高生はいなかった。というよりどの女性も、脇を強くしめているので脇毛の有無はわからない。裸体の女性と並んで、とある監督の訃報が報じられていた。

 赤木の通りに行動するのであれば、この近くの蕎麦屋でカレーライスを食べなければならない。だが近くのビルには中華屋や焼肉屋しかはいっていなかった。あきらめて次の場所へ行くことにした。

 物語に沿うのであれば、次は亀戸。またもや京浜東北線に乗り、秋葉原で総武線に乗り換える。エスカレーターの場所がわからず遠回りをする羽目になる。馴染み深い両国、錦糸町の先に亀戸がある。初めて来たとばかり思っていたが、駅前の景色に見覚えがある。そういえば前に友人を訪ねたことがあったっけ。今の今まで忘れていた。

 駅前は亀戸二丁目であるようだ。ここから亀戸三丁目を目指す。だが、赤木が女のために通った昔の面影は全く残っていないのかもしれなかった。駅前にはチェーンの飲食店が乱立しており、訪れるのは亀戸であろうがなかろうがどうだってよかったのではないかという投げやりな気持ちになってくる。暮らすぶんにはよさそうだが。

 大きな交差点で、わたしは思いがけないものを目にした。なんとそれは豆屋だ! 煎った豆を売っている。これは赤木が若い頃に南京豆を、再訪時にはそら豆を買った豆屋ではないか。いや、まさに! まさか豆屋が残っているとは。わたしは豆屋の頼もしさに、今にも笑いださんばかりに興奮した。あはは、豆屋が残っているなんてね。笑顔で何枚も写真を撮るわたしを、店先にいた女性が怪訝そうな顔で見つめている。南京豆はピーナッツという名前で売られていた。このあたりが三丁目に違いない。

 ところがあたりは四丁目だった。右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても、そこは亀戸四丁目。わたしは四方を亀戸四丁目に挟まれていた。先ほどまでいたところは二丁目だったのに。えーっ。わたしはなにかに化かされたのかと思い、慌てて地図を確認した。なんのことはない、三丁目は四丁目の西側にあっただけのことである。確かに作中にもそのようにあった。思い込みを排除してテクストと向き合う。読書の基本だ。

 その後は順調に竜眼寺、栗原橋、長寿寺、天神橋の前を通った。もちろん作中には出てこないスカイツリーには雲がかかり、まるでそこにあるのが不自然であることを自ら主張しているようにも思える。歩きながら読み返すと、永井荷風『濹東綺譚』に関する記述が出てきていることに気がつく。すっかり忘れていたのは、初読時には『濹東綺譚』を読んだことがなかったからだろう。奇しくも当連載の第2回のテーマは『濹東綺譚』。この文章は第4回だから、第3回は『濹東綺譚』に挟まれたことになる。後藤明生に誓って言うが、これは本当にわざとではない。

 赤木の足跡をたどるのであれば、ここからまた蕨にとばないといけない。でもさすがにもう疲れたよ。考えてみれば、話としては必要だけれども、展開としては無理があるようにも思える。実際に作中の足跡をたどってみると、そんなことまで見えてくるのか。

 歩いていると錦糸町に着いた。ここから御茶ノ水まで総武線で一本だ。たくさん歩いて疲れていたので、空いている座席に滑り込むようにして座る。両側には大柄で髭の生えた外国人がいた。香水と体臭が混ざり合い、なんとも言えない臭いがする。左側の男性は、着ている上っ張りが短いのか、腰から尻のすぐ上までの地肌が丸出しになっていた。ふとした折に彼の腕がわたしの肩なり顔なりに当たる。右側の男性も、なにやら顔がとても近い。とんだ二人に挟まれてしまった。彼らはまるでわたしなんかいないかのように、大声で話し合っている。これはもしやロシア語では? わたしは当然のように、二人にピョートルとニコライと名付けほくそ笑む。会話の端々に「ミタカ」「アサクサバシ」という地名だけが聞こえてきた。果たして彼らは目的地に辿り着けるのだろうか。

 秋葉原の次は、ついに御茶ノ水である。わたしは耐えきれず駆け出した。そうして改札を出た。お茶の水橋!ようやっと辿り着いた。これでわたしの巡礼の旅も終わりだ。だが最後にやり残したことがあることに気がつき、わたしはiPhoneを取り出した。そして、知り合いの山川さんに電話をかけた。

「あ、もしもし。久しぶり。あのさ、昔のことなんだけど。雑司が谷の古本屋で後藤明生のサインがはいった『挾み撃ち』を見たことがあったんだよね。もちろん買おうと思ったんだけど、その時手持ちが千円なくてさ。本の金額はたしか二千円ちょっとだったと思う。その古本屋はクレジットカードが使えなくて、次来た時に買いますって言って帰った。その次の土日に行ったらさ、もう売れてしまっていたんだよね。後藤明生のサイン入りの『挾み撃ち』がさ。すごく悔しかった。
 それからね、『情熱大陸』で角田光代が出ていたときに、後藤明生のサイン本を見せていたんだ。あ! わたしが買おうとしたやつ!って思った、っていう記憶があるんだけど、角田光代の『情熱大陸』は2005年放送だから、明らかにサイン本を見つけたときより前なんだよね。わたしが北海道にいたときなんだから。変だよね。それに古本屋の店員さんは大学の英語の先生に瓜二つでさ。もしかしたら姉妹だったのかな。わたしはその二人にずっと挟まれたまま暮らしていたのかな。ねぇ、どうなんだと思う?」

 山川さんはすこし経ってからこう言った。

「すみません、誰ですか」

 わたしは黙った。そしてそのまま電話を切った。

 わたしはお茶の水橋の真ん中で、iPhoneを片手にいつまでも立っていた。次にどこに行けばいいのか、誰と会えばいいのか。わたしは何もわからなかった。

(つづく)

参考文献
後藤明生『挾み撃ち』(講談社)、一九九八年

著者紹介:わかしょ文庫(わかしょぶんこ) 91年生まれ。都内在住の会社員。5月に出したエッセイ集「ランバダ」がひそかに話題を呼ぶ。11/24(日)文学フリマ@東京にて「ランバダ vol.2」を出品予定。Twitter @wakasho_bunko